古くから都として栄えた京都では、さまざまな地方から人々が集まり
その交流によって雑多な食文化がもたらされました。
野菜もまた各地より持ち込まれ、京都に根づき後の 『京野菜』 となりました。
京野菜は市井の暮らしの中で漬物にも利用され「京漬物」となりました。
数ある京漬物のなかでも特に京名産として名高い三種が『京の三大漬物』と呼ばれています。




「すぐき漬」は京野菜・酸茎菜(すぐきな)を塩漬けし、天秤押しという独特の重石を掛け、室(むろ)で乳酸醗酵させた酸味の強い漬物。読んで字のごとく“酸い茎/酸っぱい茎”がなまった物。

 上賀茂神社の社家ゆかりのものとされ、歴史は古く加茂日記(1230年)に「すぐき一桶」の記述がある。上賀茂社家の間に伝わる希少なものだった。
主に貴族階級の邸内で栽培されていたので市場に出回ることは少なく、自家の食用や贈り物に使われていた。
 農家が作物として栽培をはじめ一般に流通するようになるのは江戸時代の終わり頃から明治のはじめにかけて。
京都の貴族らに珍重されていた漬物として、民間においても贈答品として重宝される事が多かった。

 江戸の狂歌師が京都から届けられた「すぐき」の返礼として送った歌が遺されている。

都よりすいな(酸い菜)女を下されて
       東おとこの妻(菜)とこそせめ
                  (太田蜀山人 /江戸時代)

 かつては米の収穫後晩秋に種をまき、年明け頃に収穫・漬け始め、春の暖気で自然発酵させて晩春5月の葵祭のころに食する春の味だったという。
 大正時代に室(むろ)が考案され、気温の低い時期でも醗酵が可能になり、春を待たずとも漬け込み作業を行えるようになった。現代では冬の京漬物として12月頃から春頃までが販売時期である。

すぐき(12月~春頃) ⇒きざみすぐき(通年)

葵祭・・・といえば初夏5月15日。1400年も前から続く上賀茂神社ゆかりの祭事で京都三大祭のひとつです。
今では冬から春先の味ですが、醗酵を自然に任せていた時代新緑の季節の味だったんですね。
そうそう、近年ラブレ菌で脚光をあびたのもこの「すぐき」です。
刻んで味付けしたものは通年商品ですが、カブのまま丸ごと味わえるのはやっぱり冬から春までの季節のお愉しみです。




 近年「しば漬」といえば胡瓜や茄子を酢漬けしたものが出回っているが、京都でいう本来の「しば漬(紫葉漬・柴漬)」とは、茄子・茗荷などに大原特産の紫蘇を加え乳酸醗酵させたもの。

 前記の酢漬のしば漬けと区別するために「京しば漬」「生しば漬」と呼ばれている。
 その歴史は古く、京都洛北・大原の里で作られていた昔ながらの郷土の漬物に800年ほど前「しば漬」と名づけられたという。

 平安時代の終り頃。
 壇ノ浦の戦いで平氏が斃れ、安徳天皇が入水、源平合戦が終息の後のこと。ひとり生き残った、平徳子(清盛の実娘)は京都大原 寂光院で仏門に帰依、健礼門院となった。
 寂光院近くの庵に暮らし、一門の菩提を弔う寂しい日々の中で、村人から献上された里の漬物をたいそう気に入り、それまで名前のなかった漬物に「しば漬」と名づけた事がその名の由来とされる。

 1980年代に大手メーカーよりしば漬のTVCMが流れ、全国的に知られる事になるが、これは酢漬けしたタイプの物だった。
そのため生しば漬を京都で購入した旅行者からしばしば「酸っぱい」「匂いがきつい」との問い合わせ受ける事になったが、現代では発酵食品の生しば漬の認知度も上がり、どちらのタイプの物も「しば漬」として親しまれている。

生しば漬 ⇒味しば漬 
きゅうりのしば漬(しそ) ⇒きゅうりのしば漬(青しそ)

ところで、2012年のNHK大河ドラマは「平清盛」。すなわち徳子さまのご尊父が主人公。
「しば漬」のエピソードは清盛没後のお話だから、語られることはないんだろうなぁ・・・って、そんな昔からあるお漬物なんですよ!!




「すぐき」「しば漬」とともに『京の三大漬物』と並び称される千枚漬だが、上の2つに比べると極めて近代に作られるようになった漬物である。

  しっとりと肌理細やかな白いカブラと壬生菜・昆布のコントラスト、繊細な味わいに「京料理のよう」とも評される冬の浅漬。
その白いカブラを白砂に、緑の壬生菜を松に見立てている事はあまり知られていない。

  江戸時代の終わり頃、孝明天皇の時代。宮中で料理方を務めていた大黒屋(大藤)藤三郎が、町中で売られていた尾花川漬という漬物に着想を得、聖護院の里で作られていたカブラで従来のものとは違う漬物を創作した。
  素材に一夜塩をしたのち醗酵させることななく調味して仕上げるカブラの浅漬・・・千枚漬である。

  漬物といえば保存食であり鈍色で塩蔵(醗酵)されたものだった時代。藤三郎の作った新鮮で淡色、味のよい漬物は都人らに大変喜ばれた。
そこで、白いカブラと壬生菜を吉祥の松に見立て御所の瑞兆を表し、更なるお褒めを賜ったという。

  慶応元年、職を退き屋号を「大藤」と定めて開店。この漬物を売り出した。
大きなカブラを御所仕込みの技術で1枚1枚薄く削ぎ切り漬け込んでゆく店頭風景は、それまでにないパフォーマンスで人気を呼んだという。 宮中評判の漬物の噂は幕末動乱に揺れる町衆の間にも広がり、町の漬物商らがこぞって作り始めた事から市井のものとなる。

 千枚漬の名称はこの頃。藤三郎の漬けてゆくカブラの数が一樽に1000枚ほどにもなる(ほどに薄い)、という噂話から自然発生的に生まれた。明治23年、全国名物番付に入選。それにより「千枚漬」は新たな京名物として広く知られる事となった。

千枚漬(10月~2月末)

千枚漬が誕生してもうすぐ150年。
赤かぶや大根で漬けたもの、唐辛子や柚子を加えたもの、きざんだものetc・・・お店ごとに限りなくバリエーションが広がり、
また家庭でも京都以外の地でも作られる身近なものになり。
初代が今の時代を見ることがあったら、どのような感想を持つでしょうか。
研究熱心でアイデアにあふれる人物だったそうなので----してやったり(にやりとドヤ顔)---- になるかも知れません。




■ 余談ながら ■■■

 カブラの栽培が始まった天保年間にも「千枚漬」と呼ばれる漬物があったという。
説によるとカブラに刻みを入れ(ぶつ切という説も)塩蔵で作ったというが、詳細は不明。時代的には塩蔵保存(自然発酵?)された漬物と考察される。
 現在、京漬物として製造されている「千枚漬」は藤三郎が「尾花川漬」に着想し考案した浅漬であり、その来し方の明確なもの。たまたま同じ名前を持つ事から混同されがちだが、この古い時代の千枚漬とは別物である
 ちなみに、東北地方に紫蘇の葉の「千枚漬」、九州地方に紫蘇の葉を味噌漬けした「千枚漬」、京都松ヶ崎の郷土の漬物として菜の葉を重ね漬けたこれも「千枚漬(これは既に消えてしまったらしいが)」があった。
知られていないだけで、日本には他にも「千枚漬」と呼ばれる郷土の漬物があるのかもしれない。